扶桑教とは

神道扶桑教の起源は、冨士道 開祖 角行東覚師が、戦国乱世の荒廃した世を救うため、「天地平安・萬人安福」を真願として冨士道を開かれたことに遡ります。

角行師が御神威を篭めて謹製奉願した御神鏡は代々受け継がれ、御神實として扶桑教太祠に奉斎しています。

江戸時代には、全国各地に多くの「冨士講」が組織され、冨士山への登拝修行が行われていました。

明治時代に入り、教祖 初代管長 宍野 半が多数に分立していた講を、「冨士一山教会」として統合し、「冨士山・日本」を意味する「扶桑」を教団名として、明治十五年に明治天皇の勅許を賜わり、「神道扶桑教」は教派神道の一派として特立しました。

その後、昭和二十七年包括宗教法人の認証を受け、全国に教会・布教所・神事所・講社を設けて活発な活動を行っています。

扶桑教の御祭神

◆大祖参神 (おおみ おやの かみ)

◆天之御中主大神 (あまの みなかぬしの おおかみ)

◆高皇産霊大神 (たかみむすびの おおかみ)

◆神皇産霊大神 (かみむすびの おおかみ)

扶桑教富士桜宮

神道扶桑教 富士桜宮は、京都の地を中心に扶桑教の布教活動を行っています。